新聞をとるのをやめました

生活の中の新聞

読書が好きだったように、新聞を読むのもわりと好きでした。
若いころは、まずテレビ番組表を見てから、三面記事を読みました。
前日のプロ野球で、お気に入りのチームが勝つと、スポーツ欄を見るのがとても楽しみでした。
いつの頃からか、政治にも少し興味がわくようになり、政治欄を読むこともありました。

幼いころから新聞は家にあるものでしたし、結婚後も、どこに引っ越しても新聞の購読は続けていました。
新聞の購読をやめるという発想は全くありませんでした。

ところが、夫も私も仕事が忙しくなるにつれて、新聞を読む時間がだんだん減ってきました。
新聞を開きもせず、配達されたままの状態でテーブルの上に置かれていることもしばしばありました。

おまけに、わたしも老眼になり、老眼鏡が手放せなくなりました。
小さな文字を読むと、目の疲れから頭痛もしました。
気が付くと、新聞を読むのは夫だけでした。
しかも休日のみ。

片付けを始めてから、テーブルの上に置いてある新聞が、とにかく嫌でした。
平日は、誰も読んでいない新聞をチラシと新聞に分別して新聞袋に入れていました。
とても煩わしい作業でした。
新聞袋がいっぱいになると、市で決められたひと月に一度の”資源の日”に他のものと一緒に持って行きました。

新聞やめたい

分別する煩わしさと、読んでもいない新聞を買うお金の無駄。
私の中で、だんだん”新聞とるのをやめたい”気持ちが高まっていきました。

夫に提案すると、思った通りいい返事ではありませんでした。
「購読やめて不便だったら、また購読してもいいから、一度やめてみようよ」
そう言って何とか夫を説得し、30数年購読していた新聞をやめました。

一番利用していたと思われるテレビ番組表は、今やテレビでも見ることができます。
もっとも、私たち夫婦は、ここのところテレビ番組自体をほとんど見ません。ニュースなどはインターネットを利用して情報を得ています。
新聞よりずっと早く最新の情報を得ることができます。

あれほど、新聞購読をやめることに反対だった夫も
「新聞なくても、全然問題ないよ」
と言っています。
わたしも、あの煩わしさから解放されて、楽になりました。

 

新聞がほしいと感じる時

「新聞かあったらいいな」
と、思うことがあります。

それは例えば、汚れものを置くのに下に敷きたい、物の上に何かをかぶせたいなど、古新聞を使いたいときです。
思いもよらず、古新聞は私たちの生活の中に根づいていると感じました。

もう一つは、新聞紙上にあるお悔やみ欄を見ないので、知り合いや友人の家族が亡くなられてもわからないことがあります。
後で知って、お悔やみにも行けず残念に思うこともありました。

 

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